研究内容

 癌組織の形態情報ならびに分子発現情報と臨床情報をリンクした多次元的な解析を行うことで、各臓器がんに特徴的な病態に関わる分子機構、がん間質相互作用に代表される様な複雑な生体内での細胞・分子ネットワークの解明を目指しています。

 具体的には、1)個々の臓器癌の特徴的な病理像(多段階発癌、浸潤・転移)の詳細な臨床病理解析、2)それら癌組織の網羅的遺伝子・タンパク発現解析と、in situ発現解析、3)Tissueマイクロアレイ、デジタルスライド、蛍光定量デジタルスライド技術の応用による形態分子情報の定量解析、4)高度免疫不全マウス同所移植によるin vivo機能解析モデルの確立と応用を行い、癌の新規診断マーカーあるいは治療標的の候補分子を効率よく同定、解析しています。中でも、難治癌の代表である肝癌・膵癌・肺癌・卵巣癌等を主な対象とし、これまでに、早期肝細胞癌診断マーカー(HSP70, CAP2)・早期肺腺癌診断マーカー(MRP3)の開発、膵癌神経浸潤モデルの確立と制御分子(CD74, SNCG)の同定、EMTの分子病理研究、肝細胞癌・基底細胞癌で過剰発現するWnt・Hh標的分子(GPR49/LGR5)の同定などを行ってきました。

 現在進行中の研究の一部をご紹介します。

 

肝細胞癌の多段階発癌モデル

HCC, hepatocellular carcinoma, 肝細胞癌;
CLD, chronic liver disease, 慢性肝疾患; RN, regenerative nodule, 再生結節;
DN, dysplastic nodule, 異型結節; N/N, nodule-in-nodule, 結節内結節

 肝細胞癌の大半は、慢性障害肝(ウイルス性肝炎、アルコール性・非アルコール性肝障害等)を背景として発生します。癌になる前の段階(異型結節)や既存の構造を置き換えるように増生する癌(早期肝細胞癌)から結節内結節(早期肝細胞癌から進行肝細胞癌に移行つつある状態)を経て進行肝細胞癌となっていくことが知られています。こうしたモデルを多段階発癌モデルといいます。肝臓は癌の領域が比較的わかりやすいため、癌の評価が他臓器よりも容易です。こうした特徴を活かし、次のような研究を行っています。
(Jpn J Clin Oncol 40(9):891-896, 2010より一部改変して転載)

 

 

 多段階発現モデルを用いると様々なことが分かってきます。写真左は結節内結節の肝細胞癌の顕微鏡写真で、非癌部・早期肝細胞癌・進行肝細胞癌が含まれています(それぞれ組織像が異なっています)。各段階の組織を採取して網羅的遺伝子解析を行いました。

 例えば、非癌部と癌部(特に早期肝細胞癌)を比較したところ、HSP70・CAP2・Bmi-1等の遺伝子が癌部で高く発現していることがわかりました。研究を進めたところ、これらの遺伝子に対応した分子が癌を診断するのに役立つことが分かったため、診断マーカーや悪性度診断に応用されています.

 また、早期肝細胞癌と進行肝細胞癌の部分を比較したところ、p53やCK19等の遺伝子が進行肝細胞癌で高く発現することがあることがわかりました。このような遺伝子の発現が癌の悪性度(浸潤性が強い、転移しやすい、再発しやすい等)にどのように関わっているのか、そのメカニズムを現在研究中です。
(Jpn J Clin Oncol 40(9):891-896, 2010より一部改変して転載)

 

 

 進行癌、早期癌、背景肝におけるH&E像および同部における各種マーカーの免疫染色所見です。慢性障害肝→早期肝細胞癌→進行肝細胞癌と見ていくと、免疫染色の染色結果が異なることが見て取れます。HSP70やCAP-2は早期肝細胞癌の段階から段階的に発現の増加が認められますが、Bmi-1は早期肝細胞癌の段階で特に発現が高い傾向があります。一方、p53やCK19については多段階発癌過程の後期に発現異常を認めることが多いです。
(Jpn J Clin Oncol 40(9):891-896, 2010より一部改変して転載)

 

小結節境界不明瞭型病変の組織学的特徴とグレーディング分類

~High grade early hepatocellular carcinoma の提唱~

組織学的に、早期肝細胞癌と診断された結節の中には、比較的異型の乏しい腫瘍細胞からなり高度異型結節と判断の迷う症例から、進行癌への移行を示唆する高異型度な腫瘍成分を伴った症例まで組織学的多彩性が認めます。特に、後者の症例のような高異型度の腫瘍成分を含む早期肝細胞癌は、前者のような低異型度の腫瘍成分からなる早期肝細胞癌とは異なった臨床的対応の必要性が議論されるべき病変と考えられます。当施設の肝切除症例にみられた小結節境界不明瞭型の肝細胞性結節性病変を用いて、細胞異型・構造異型・間質浸潤の程度の評価と様々な分子マーカーを用いた免疫染色学的検討を行った結果、早期肝細胞癌の約40%に悪性度の高い早期肝細胞癌が認められ、治療戦略上も有用な分類として報告されました。

 

病理形態学的特徴を基盤とした胆道領域癌の増殖・進展にかかわる分子機構の解明

1. 胆道領域癌の生物学的特性を反映した腫瘍進展様式(Intraductal carcinoma component; IDCC)の提唱

非常に多数の胆道癌手術標本の肉眼所見・組織形態を詳細に観察し、個々の症例の臨床経過との相関を詳細に検討すると、胆道癌の腫瘍進展様式には大きく腫瘍周囲に上皮内癌成分(Intraductal carcinoma component; IDCC)を有するIDCC付随型と非付随型に2分できることを見いだしました。IDCC付随型症例は切除症例のおよそ37%に認められ、局所における浸潤性増殖が非付随型より軽微な傾向にあり、予後良好で、胆管切除断端の臨床病理学的意義にも大きく寄与する治療法選択の新たな指針となることから、強力な予後因子として提唱しました。

 

2. 多数の胆道癌バイオリソースの獲得、臨床病理学的データおよび情報子発現データベースの確立

生物学的特性を反映する機能分子の同定や機能解析、これらの臨床応用を検証する際に必要かつ非常に強力なツールとされる、臨床・病理・遺伝子情報が“紐づけ”された多数の胆道癌バイオリソース(新鮮切除検体凍結材料・ゼノグラフトモデル・細胞株)を得るため、胆道癌の凍結検体を蒐集、免疫不全マウスを用いたゼノグラフトモデルと細胞株樹立を試みました。最終的には、250例ほどの凍結検体、本国では最大級となる26症例のゼノグラフトモデルと亜型を含め13細胞株の樹立を行いました。これらに600症例近くの臨床病理学的データベース、凍結検体から得た遺伝子発現・異常のデータベースを整備し、体系的な胆道癌研究を行う環境を整備しました。


3.IDCCと関連する分子機構

IDCCと関連する分子機構の解明のため、臨床病理学的データベースと紐づけされた遺伝子発現プロファイル解析、Gene Set Enrichment Analysisを行った結果、IDCC非付随型はIDCC付随型に比して、浸潤・増殖・転移に関連する特徴遺伝子群が有意に高発現し、特にEpithelial Mesenchymal Transition(EMT)関連遺伝子が胆道癌の発生部位に関係なく高発現していることが示されました。これらの結果から、病理形態学的所見で得たIDCCの臨床病理学的特徴を分子病理学的に裏付けただけでなく、胆道癌進展に関わる分子機構の一端にEMTの深い関与が明らかになりました。

 

4.多数の新規抗がん剤の前臨床試験

胆道癌には有効な化学療法が存在していないため、製薬会社との共同研究として保有する胆道癌バイオリソースやデータベースを用いて、多数の新規抗がん剤の前臨床試験を行いました。これらの中には、先のIDCC非付随型に関連した腫瘍の浸潤・発育に重要な役割を示すと考えられる上皮成長因子受容体(Epidermal Growth Factor Receptor; EGFR)や血管内皮細胞増殖因子受容体(Vascular Endothelial Growth Factor Receptor; VEGFR)などのチロシンキナーゼ分子を標的とした新規抗がん剤も含まれ、いずれも有効な薬剤効果が認められました。このことから、実際の薬剤を用いた検討でもこれらの分子が腫瘍増殖・進展への関与していることが示され、さらに一部の薬剤は臨床医と製薬会社に橋渡しして、臨床試験へと進めることができました。

 

糖鎖修飾の変化によるがんの悪性化の分子病理学的意義の解明

(Histochemistry and cell biology 2018;149; 569 -575 より改変引用)
上皮細胞の産生する粘液は、アミノ酸の配列が中心にあり、その側鎖に糖鎖修飾が加わった構造で成ります。私たちは、胃などで産生される幽門腺型粘液に着目し、その側鎖のαGlcNAc糖鎖修飾の変化とがんの悪性化について検討しています(図1)。αGlcNAcの合成には糖転移酵素の1つであるα1,4-N-アセチルグルコサミン転移酵素(α4GnT)が必須であり(図2)、これをノックアウトした変異マウスでは、αGlcNAcの糖鎖修飾のみが消失し、高率に胃幽門部に分化型腺癌が自然発症しました。そこで、αGlcNAcの糖鎖修飾消失とヒトの諸臓器における腫瘍の発がん過程の関係について興味を持ち、病理標本を用いた検討を行ってきました。

(Cancer Sci. 2017;108,1897-1902より改変引用)
胃では、がんだけでなく、前がん病変でも、αGlcNAcの発現が低下しており、さらに、膵臓、子宮頸部、胆道の腫瘍において、αGlcNAcの糖鎖修飾低下が前がん病変から起きることが明らかになりました (図3,4)。また、これらの変化の分子生物学的なメカニズムを明らかにするために、さらに、ヒトがん由来の培養細胞を用いた細胞レベルでの研究を並行して行っています。この研究によって、諸臓器の腫瘍における、糖鎖修飾変化に着目した早期がん診断が可能になり、さらに、糖鎖を標的とした新たな治療標的へと繋げる知見が得られると考えています。

がん組織を構成する細胞同士の相互作用の全貌を明らかにする研究

がんは、遺伝子変異などをきっかけとして、私たちの体内の細胞から生じた異常な細胞が無秩序に増殖することで生じます。一方で、がんとして認識される「かたまり」の中には様々な割合で免疫細胞(マクロファージやリンパ球など)、腫瘍血管、線維芽細胞や膠原(コラーゲン)線維といった「がん細胞以外の要素」が多く含まれており、複雑な「腫瘍微小環境」を形成しています。がんの種類によっては、このような「がん細胞以外の要素」が体積の半分以上を占めるものもしばしば認められます。腫瘍微小環境は、私たちの体ががん細胞を攻撃して排除したり、その浸潤を防ごうとしたり、逆にがん細胞がこれらの防御機構に抵抗して増殖するといった、せめぎ合いの現われでもあります。

その一方で、実際のがん組織において、がん細胞に加えてどのような種類の細胞が、どこに、どのような組み合わせで含まれているのかに関して、十分に理解が進んでいないのが現状です。また、これら「腫瘍微小環境」の理解は、免疫チェックポイント阻害剤や複合免疫療法など、腫瘍微小環境をターゲットとする治療が効きやすいがんとそうでないがんを予測したり(層別化といいます)、腫瘍微小環境をターゲットとする新しい治療法を開発する上での基盤として重要と考えられます。私たちはこのような疑問について、がん組織に含まれる免疫細胞を様々な色で染め分けて顕微鏡で観察するという古典的ながら最も直感的で分かりやすい方法と、その他の分子生物学的手法を組み合わせて詳細に検討しています。

<研究成果の例> (Kurebayashi et al. Hepatology. 2018;68(3):1025-1041 より改変引用)

<参考URL> 慶應義塾大学病院 医療・健康情報サイト(KOMPAS)
「顕微鏡で観察するがん免疫の世界とその分類 紅林泰、坂元亨宇(病理学)」
https://kompas.hosp.keio.ac.jp/contents/medical_info/science/201903.html